ジュエリーの歴史の始まり~ギリシャから古代ローマへの移行

今、皆さんが楽しんでいるジュエリーはどこから来たのでしょうか。

今まで、クレタ島「ギリシャ神話の時代」古代ギリシャ、ポリスの時代ギリシャの最盛期アテネの時代についてお話してきました。今回は、次のテーマである「古代ローマのジュエリー」に行く前に、ローマの文化がどのように発展していったかについて先にお話しておきたいと思います。

ギリシャの植民都市

ローマの文化は、その多くはギリシャの文化の継承と模倣から始まりました。 まずは、ギリシャ人の植民活動についてふれておきましょう。

ギリシャ人は海路を使って、エーゲ海、黒海、地中海などに多くの都市植民地を作り進出します。そしてアフリカの北から進出する、フェニキア人の植民都市と地中海を分け合っていきました。その頃の最も先進の文化を力に勢力を広げたのです。

それらギリシャの植民都市では、大都市アテネを模倣した文化が取り入れられました。ゼウス神殿を中心とした都市の構造、神、女神たちの彫像、生活道具などです。つまりいくつもの小アテネが、現在のトルコの沿岸地域、シチリア島、南イタリア諸都市、遠くスペイン、フランスの沿岸などにできたのです。ギリシャの最も繁栄した時代だと言えます。

写真:古代ギリシャとローマの勢力地図
古代ギリシャとローマの植民都市地図

ローマの発展~ギリシャの文化を継承して

一方、ローマはその時、小さな地方の一つの町にすぎませんでした。イタリア半島中部には「心の優しい」エトルリア人が住み、町と文化が存在して美術的にも栄えていました。小さな町だったローマは、約2700年前に誕生したとされています。ローマは、地形の特性によって、海の諸都市ギリシャ民族と、山の諸都市エトルリア民族とを結ぶ、商業の通過地点の役目を果たしていました。

性格が荒く野蛮だったローマ人は次第に力を強め、エトルリアを征服し、その後1000年に及ぶローマの発展の歴史を作ります。 南イタリアから地中海全体を植民地として、アジアからヨーロッパにいたる共和制国家を経て、ローマ帝国を築いていきます。富裕で文化の高いギリシャにとって代わり、文明の中心的存在になりました。

このように、ローマの文化の多くはギリシャの文化を継承し、エジプトやアジアの文化を取り込み、模倣から始まってローマ的な古典文化を築きあげていったということになります。得意な都市のインフラや建造物などは、ローマならではの発展をみせました。肖像や通貨の彫刻などは中世のヨーロッパ文化の基盤となったのです。